世紀を超えて、生命を受け継ぐ。
木材は一般的に、ケヤキやブナといった広葉樹は硬く、複雑に変化ならがゆっくりと成長し、スギやヒノキなどの針葉樹は柔らかくまっすぐ、早く成長する印象がある。しかしながら、同じ針葉樹でも、標高500メートル以上、樹齢1000年を超える屋久杉は、そうした概念には当てはまらない別格の存在だ。
1550万年前に海中で固まったマグマが大きな花崗岩の塊となって隆起した屋久島の地形は、屹立とした山々に囲まれ非常に険しい。その山に向かって温かい黒潮が流れ込むため、島の上空には雨雲が発生しやすく、山間部では年間に7000〜10000mmもの雨が降る。こうした厳しい環境のなかでゆっくりと時間をかけて育った屋久杉の木目は非常に細かくて丈夫。樹脂も多いため、粘り気があり、切り出した後も腐食しにくいという特徴を持つ。
「ひとえに屋久杉といっても、特有の環境のなかでさまざまな経験を重ね、多種多様に変化と進化を重ねていくため、同じ形、性質、木目を持つものは一つ足りともありません。たっぷりと太った幹にうねるような杢目が独特の模様を描き出していて、一本一本が個性的なんです」
そう話すのは屋久島に生まれ、屋久杉の仕入れや加工に長年携わっている工房ヤマダの山田亮一さんだ。屋久島を訪れたことがある人ならば誰しもが、屋久杉を素材にした箸やアクセサリーなどの多様な工芸品を一度は目にしたことがあるだろう。観光客にとっては島の景色を持ち帰り、楽しい滞在を思い出すための身近な存在だとも言える。しかし、山田さんはこうした潮流にどことなく違和感を感じていた。
「僕が木工の仕事に関わりはじめたのは、ちょうど屋久島が世界自然遺産に登録されたのとほぼ同時期。世界から島に注目が集まり、訪れる人も増えるのと同時に、屋久杉を用いた土産品も大量につくられていくようになります。その様子を横目で眺めながら、僕はなんとも心が落ち着きませんでした。なぜなら、僕にとって屋久杉は島の歴史や文化の象徴というだけでなく、地球の移り変わりをありのままに姿、形に現した特別なものだから。簡素な木工品に形を変えただけでは、その本質的な魅力は十分に伝えらないんです」
屋久杉に見られる複雑な杢目は、世紀を超えて自然がつくり出した唯一無二の造形だ。単なる地域の特産品に収めてしまうのではなく、想像を絶する時間をかけて生きた証を大切に受け取り、責任をもって次の生命へと繋いでいかなければならないと話す。
「一度削ってしまったら、元通りに戻すことはできない。2度とやり直しがきかないものだから、向き合うときはこっちだって真剣です」
さっきまで⽬尻に皺を寄せて笑っていた⼭⽥さんの⽬が、すっと凪いだ海のように静かな眼差しに変わる。その瞬間、旋盤に固定した屋久杉の大きな塊が轟音とともに回り出し、山田さんが手にしたノミで木屑を飛ばしながら一気に削り出されていく。うねる杢目は加工に抗うように、ときに刃先を弾き返すこともあり、作業中は一切気を抜くことはできない。常に手元に集中しながら、どうしたら一番美しい姿に整えることができるかと思案を重ねる。
マシンのスイッチが切られ、高速回転していた音がだんだんを静まるとともに、山田さんの表情も再び優しく和らいでいく。
「屋久杉はどれほど扱っていても、いつも新しい顔を見せてくれます。その都度いろんな情景が頭のなかに浮かんでくるから飽きないんでしょうね」。キャリアスタートから30年を超えてもなお、留まるところを知らない山田さんの好奇心はさらなる高みを目指す。
ルビーやサファイアをペン先に、屋久杉をボディに使った高級万年筆をはじめ、楽器制作やオイルの精製など、屋久杉が持つ可能性を最大限に引き出す取り組みを続ける。そんな山田さんがいま待ち望むのは、「絶対に間違いのない素材を選んだ」と、自信を持って厳選した屋久杉でつくられた樽で熟成中のKOMAKI WHISKYの完成だ。現在鹿児島県さつま町の小牧蒸溜所の石蔵のなかで、悠久のときを細やかに刻んだ屋久杉に包まれた豊かな時間を過ごすウイスキーが、どのような味わいに変化するのか。3年後の開栓を楽しみに、今日も山田さんは屋久杉と向き合いつづける。
>プロフィール
山田亮一 Ryoichi Yamada
屋久杉工房ヤマダ代表取締役。1957年屋久島に生まれる。若い頃は、関東でクレーン運転士として活躍。42歳で屋久島に戻り、工芸作家としてのキャリアをスタート。幼い頃に親しんだ屋久杉の森への思いを胸に、一流であると信じる屋久杉の魅力を伝える活動を多様に行う。屋久杉を用いた万年筆や楽器の制作、精油の生成にも挑戦。小牧蒸溜所のために、KOMAKI WHISKYの熟成樽で使用する屋久杉の選定に関わっている。